東京高等裁判所 平成11年(う)278号 判決
(1)乙(住居侵入・窃盗未遂),丙(住居侵入・窃盗)両事実のいずれの現場にも,被告人の履いていた運動靴の足紋により印象された可能性がある足跡が遺留されていたこと,(2)被告人が,平成10年1月12日に作成した前記上申書(原審検乙12号証)で,共犯者としてその氏名を明らかにしたAが,窃盗の検挙歴がある実在の人物であり,しかも,その人物像が,平成8年ころ,乙事実の被害会社を求職に訪れたA'と名乗る男とほぼ合致すること,(3)被告人が,右同日に作成した前記上申書2通(同11,12号証),同月27日付司法警察員に対する供述調書(同13号証)などで大筋において乙,丙両事実を認めたことなどの事実に徴して,被告人がこれらの犯行に加担したことは,合理的疑いを容れない程度に明らかであると認められる。
これに対して,原判決は,①丙事実の被害届に記載された被害金額に不自然な訂正の跡があること,②被告人作成の平成10年1月9日付上申書2通(原審検乙11,12号証)は作成日を遡らせていて,作成の経緯自体疑われること,③乙事実の被害現場の実況見分調書(原審検甲15号証)とその被害会社の責任者Bの司法警察員に対する供述調書(同16号証)とでは,被害状況の点で内容に矛盾があること,④被告人の運動靴が同じ金型を用いて大量に製造された製品であり,被告人の運動靴の足紋に固有の特徴点があるわけではないことから,現場に遺留された足跡と被告人の運動靴との結びつきを直ちに判定はできないこと,⑤乙,丙事実に関する被告人の上申書,司法警察員に対する供述調書の内容は,自発性に欠け,あいまいで,その時々で変転し,細部で矛盾するなど,不自然な点が多々あること,⑥捜査に当たったC警部補の原審証言は,容易く信用できず,他方,捜査官から執拗に余罪を追及され,強要された結果,精神的に疲れ,拘置所へ移監されたくて,心ならずも犯行を認める上申書を作成し,自白調書の作成に応じた旨の被告人の言い分は信用できるとし,結局,乙,丙事実については,被告人の有罪を認めるべき証拠はないというのである。
しかしながら,①については,当審で取調べたDの検察官に対する供述調書(当審検3号証)によれば,同人は,前記武南警察署の捜査官として,丙事実の被害現場の状況を見分中に,「立会人のEから,北側窓際の机の引出しから白封筒入りの現金2万円が盗まれている旨の申告があり,南西隅の経理担当者の机の引出しからもセカンドバッグに入った白封筒の中の現金が抜き取られていることが分かったが,右経理担当者が出勤しておらず,被害金額が分からない旨の申出があったため,同行したF警部補が,立会人の申告に従って「被害品現金2万円,内訳一万円札2枚」と記載した被害届を作成し,自分が実況見分調書作成担当者としてこの被害届の引き継ぎを受けた。その後,電話で,右経理担当者の机から盗まれた現金は4万円である旨連絡を受けたので,右被害届の金額と内訳の「2」の字に手を入れ,「6」と直して,被害額を6万円,内訳を1万円札6枚と訂正し,追加被害上申書作成の手間を省いた。しかし,後日,G巡査部長から,右被害届は記載内容不明瞭なので,「現金60000円,壱万円札6枚」と書き直したので,被害届の提出者から訂正印を貰ってほしい旨電話連絡を受けたので,作成名義人のEから訂正印を貰った」旨述べているところ,捜査官が一旦提出された被害者の届出文書の記載内容に手を加え,書換えることなどは許されず,本件でこのような便法を取ったことは,軽卒の誹りを免れないが,Eの平成11年1月14日付検察官に対する供述調書(当審検1号証)に徴し,正確な被害金額が計6万円であることに疑義はない。
②については,原判決が問題にする被告人の上申書2通は,甲野ビル付近まで被告人を同行し,捜査官が乙,丙事実の現場に赴き,被害の有無,状況を調査して帰署した後に,作成されたものであるにもかかわらず,作成日を遡らせて記載したばかりでなく,あたかも事前に作成した上で,被告人が捜査官を犯行現場へ案内することを申し出たかのような記載内容をなしていることは,原判決指摘のとおりであり,捜査官が,作成日付を適当に記入するように申し向けて,このような明白な虚偽内容を含む上申書を,それと知りながら受領することは,いかなる事情があったにせよ,後日捜査の公正に疑念を持たれかねない所為であって,捜査官として厳に慎むべきであるといわなければならない。しかしながら,捜査官Cの原審証言などによると,捜査官に原審が見る程に悪質な意図があったとまでは認められない。そして,その内容は,被告人の運動靴の足紋と合う足跡の遺留された乙,丙各事実の現場の付近まで車で捜査官に同行した被告人が,その直後に,半ば観念して表白したもので,共犯者Aのことなど,その裏付けが取れている供述内容もあるのであり,それより以前に作成したかのような文言及び同月9日という作成日付の点を除き,十分信用に値すると考えられるのである。
次に,③については,当審で取調べたDの検察官に対する供述調書(当審検33号証)によると,同人は前記武南署の捜査官として,「甲野ビルに臨場して,実況見分に当たり,3階の乙山運輸で,机の引出しの中に入っていたと思われる書類等が散乱して,明らかに物色の形跡が認められたのに,机の引出しの状況などを確認することなく,いずれの机も整然としている,机の引出しは閉まっているなどと調書に記載してしまった。このようなミスを犯したのは,当初,3階の事務所荒しと聞いていたのに,臨場してみると,2階の事務所でも窃盗の被害があることが分かって,その実況見分もしなければならなくなり,勢い,盗難被害はない旨の説明を受けた3階の実況見分がおざなりになってしまった」旨述べて,乙事実の被害現場の実況見分調書(原審検甲15号証)の記載が杜撰で内容に誤りがあることを率直に認めているのである。このような過誤が許されないことは,もとよりであるが,被害状況に関するBの司法警察員に対する供述調書(同16号証)の記載内容が正しいことは,明らかであると認められる。
④については,本件で足跡鑑定を担当したHの原審証言によると,本件の足紋対照は,重合比較法により行われたものであり,これにより被告人の運動靴と現場遺留足跡との結びつきの断定まではできないことは,原判決指摘のとおりであると認められる。しかしながら,数ある靴底模様の中で,被告人の運動靴の靴底と同一模様で,ほぼサイズも同じと見られる足跡が,乙,丙事実の現場に遺留されていた事実は,その余の証拠と相侯って,被告人がその運動靴により現場に行ったことを窺わせるに足る証拠であるということができる。
そして,被告人の取調べに関する⑤,⑥については,被告人が,甲事実について公訴を提起された後も,捜査官から余罪について相当厳しく追及され,相当多数の余罪の存在を自白し,更に追及されてその供述内容を変転させていることは,原判決指摘のとおりである。しかし,その供述を通観するに,乙,丙事実の自白に関しては,実質部分が大筋において客観的状況ともよく符合し,また,共犯者Aのことなど,裏付けがとれている点もあることは,先に検討したとおりである。原判決は,捜査官の執拗な取調べにあって,被告人が根負けし,自棄になって虚偽の自白をするに至った疑いがあるとし,被告人の供述の細かい食い違いや矛盾点を挙げて,その自白には自発性が欠けており,あいまい,不自然で,信用できないというが,その指摘を逐一検討しても,原判決の見解には与できない。また,被告人のアリバイ供述についても,これを裏付けるのは母親の原審証言だけであり,同女の立場や,同女が,平成10年2月11日付司法警察員に対する供述調書(原審検甲29号証)において,「(被告人は)昨年の8月7日に仮釈放で自宅に帰ってきた。何日か家に寄りつかず,外泊も何回かあり,8月18日前後のことはよく覚えていません」と述べていることに照らすと,右証言をそのまま信用することはできない。
以上の次第で,乙,丙事実について,無罪を言い渡した原判決は証拠の評価を誤り,事実を誤認したものであり,これが判決に影響を及ぼすことは明らかである。
論旨は理由がある。